Loading...

Journalジャーナル

憧れのレッドボックスに込められたジュエリーへの想い

Issue | 2019.07.25

世界5大ジュエラーとして名高い「カルティエ」。ヨーロッパ各国の王室御用達を拝命し、「宝石商の王」と讃えられているブランドです。世界に先駆けプラチナを取り入れたダイヤモンドジュエリーを発表するなど、ジュエリー業界にも大きく貢献。今もなお世界中の人々を魅了する、カルティエの魅力を紐解きます。Photo: Ikuo Kubota (OWL) / Text: Tomoko Katoh

王侯貴族に愛される名門中の名門

カルティエの創業は1847年。創業者であるルイ・フランソワ・カルティエは、宝石商アドルフ・ピカールの下で修行を積み、28歳という若さでアトリエを譲り受け工房をスタートしました。場所は、フランスのパリ・モントルゲイユ街29番地。このジュエリー工房を皮切りに、場所を転々を移しながら世界がこぞって愛用する高級宝飾店として発展してゆきます。

1853年には、ヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地に個人顧客を対象とするジュエリーブティックを構えました。ヌーヴ・デ・プティ・シャン通りは当時、国王の弟の家系に当たるオルレアン公の館から目と鼻の先。館では頻繁に社交界が行われていたため、そこに集う貴族や身分の高い人々に、ルイ・フランソワは目をつけたのです。

数年後の1858年、ナポレオン3世によるパリ大改革が行われ、パリは美しく華やかな街へと生まれ変わります。翌年の1959年、商いの才能を発揮したルイ・フランソワは、パリのオペラ座付近に店舗を移転。当時、街だけでなく人々も着飾りファッションを楽しむようになり、カルティエはパリの中心的存在として認識されるようになりました。その後、創業者ルイ・フランソワの孫であるルイ・カルティエが経営に加わり、1899年にヴァンドーム広場北側のパリ2区ラ・ペ通り13番地へ店舗を移転。以来、本店はその土地で絶大な存在感を放っています。

創業当時のカルティエはすでにフランス国内で王室貴族御用達ジュエリーブランドとしての名声を確立しつつありました。しかし、このジュエラーの名を世界中に轟かす決め手となったのはフランスナポレオン3世の妃、ユゥジェニー皇后の存在。フランスが栄華を極めた当時、社交界の中心的存在であったユゥジェニー皇后が直々にカルティエにジュエリーをオーダーしたのです。これにより「カルティエは、フランス皇后お墨付きブランド」として噂になり、急速に世界中の王族に広まることに。「王族御用達ブランド」のポジションを確立し、急成長を遂げることとなりました。その後もパリ社交界のファッションリーダー的存在であり、エドワード7世の王妃でもあったアレクサンドラ妃やモナコ公国妃のグレース・ケリー等、数え切れないほどの王族に愛され世界中のファンを魅力しています。

繊細かつこだわりの詰まった画期的なジュエリー

今でこそ、カルティエのジュエリーラインアップは多数ありますが、カルティエの名声を確実なものにしたのはガーランド・スタイルのもの。ガーランドとは、花と葉を用いた花冠のことを指しており、ルイ16世様式から派生したものをルイ・カルティエが見事に復活させました。これが世界中の王侯貴族から大絶賛を浴び、世界中の注目を集めたのです。

このガーランド・スタイルに大きな力を与えたのはプラチナの存在。カルティエは早い時期からプラチナに非常に興味を持って研究を進めていました。プラチナ特有のグレーがかった白の美しさばかりでなく、酸化しにくく、軽さと強度を兼ね備えているのが魅力。ダイヤモンドの輝きを際立たせる性質があることから、ダイヤモンドジュエリーに最適な金属だと確信していたのです。ルイ・カルティエは、世界で初めて本格的にプラチナを採用。プラチナをアレンジしながら、繊細で芸術的な作品を次から次へと生み出していったのです。プラチナを効果的に使用し、ダイヤモンドをより美しく見せるジュエリーを生み出したカルティエは、英国のエドワード7世(当時のウェールズ王子)に「王の宝石商であるがゆえに、宝石商の王である」と称賛されるほど。プラチナの登場は、ジュエリー界の大きな革新となりました。

セレブを魅了するエキゾチックなハイ・ジュエリー

創業以来、エピソードが絶えないカルティエですが、現在、アメリカのスミソニアン博物館に展示されている「ホープダイヤモンド」も1910年、ピエール・カルティエの手に渡ったことが知られています。カルティエはこれに装飾を施し、アメリカ社交界のエヴェリン・ウォルシュ・マクリーンに販売し話題を呼びました。また1912年世界で初めてバゲットカットのダイヤモンを制作。これもまたルイ・カルティエのアイデアでした。ハリウッド女優からモナコ公妃となったグレース・ケリーがレーニエ大公から贈られたエンゲージメントリングもカルティエのバケットカットダイヤのもの。人気絶頂の中、ハリウッド女優からモナコ公妃に転身した波乱万丈な人生を送った彼女に相応しい特別なリングだったのではないでしょうか。グレース・ケリーはこの他にも、多数のジュエリーをカルティエから購入しています。

その後はリストウォッチの流行を予想し、次々に新作時計を制作。ブラジルの飛行家、アルベルト・サントス・デュモンのリクエストで作られた「サントス ウォッチ」は世界初の腕時計でした。腕時計は、懐中時計のように出し入れせずにすぐに時間を確認できる非常に画期的なアイテムで。また第一次世界大戦の連合軍タンク(戦車)に乗った連合軍とフランス軍の戦車軍団の名誉を讃えた「タンク ウォッチ」など今なお愛される名作はこの時代に誕生しました。

1933年ジャンヌ・トゥーサンがハイ・ジュエリー部門の責任者となり、顧客名簿に名を連ねる世界の王族貴族のために芸術性溢れるジュエリーを制作しています。そのうちの一つだ「パンテール」。パンテール(パンサー)をモチーフにしたこのシリーズは一世風靡しウインザー公爵夫人が1949年に注文した152.35カラットのカシミールサファイアをプラチナにセットしたパンテールのブローチはあまりにも有名です。160年以上もの間、女性を魅了するジュエリーを作り続けていたカルティエ。その高い芸術性と確かな品質は現代にも引き継がれ、今なお多くの人々に愛されています。

Contactお問い合わせ

お電話・メールにて各店舗にお問い合わせください。

東京

神奈川

千葉

埼玉

大阪