ジュエリーで旅する世界のブランド Vol.1 BVLGARI

DATE : 2019.1.26
TEXT : Tomoko Kato

ソティリオ・ブルガリが1884年創業した宝飾品ブランド「ブルガリ(BVLGARI)」。その美しさは世界中から注目され、時代を超えて多くの人に愛されています。卓越したビジネスセンスと、独自のスタイルをつくり上げた「ブルガリ」にまつわるジュエリーの歴史を紐解きます。

時代の奇跡が生んだ「ブルガリ」の誕生

ブルガリの創業者ソティリオ・ブルガリは1957年、ギリシャ・エピルスで誕生しました。ソティリオ家は、代々銀細工の家系。エピルスも銀細工が非常に盛んな地域だったため、ソティリオは幼い頃から才能を発揮し、将来を有望視されていました。しかし、ギリシャでバチカン戦争が勃発。それを機に、一家はイタリアへ移住します。移住後も、ソティリオは銀細工制作を続けました。そこで彼がつくっていたシルバーオーナメントが人気を呼び1884年、ローマのヴィア・システィーナに店舗を構えるほどに。これが現在の世界五大ジュエラー「ブルガリ」のスタートとなったのです。

1894年には、コンドッティ通りに2号店を、さらに1905年にはコンドッティ通りにより大きな3号店を構え着々と拡大していきました。ソティリオのジュエリーが特徴的だったのは、エピルスに伝わる伝統的なギリシャ建築手法をベースに先進的な技術を取り入れたこと。これにより独自のスタイルを確立し、革新的なデザインとモダンなイタリアンジュエリーの礎を築いたのです。なお、現在の「ブルガリ」のスペルが「BVLGARI」となっているのは、古代ローマのラテン文字を用いているため。ラテン文字には「U」がなく、「V」で代用していました。これは「ブルガリ」の長い歴史と、創業の地ローマに対する敬意を物語っています。

ソティリオの才能を引き継ぎ、ビジネスを拡大

創業者ソティリオには、当時2人の息子がいました。その2人も経営に加わり、本店を現在のコンドッティ通りに移転。ソティリオが死去する1932年まで、2人の息子はジュエリー制作のノウハウを学び、ビジネスの才能を発揮しました。ソティリオ自身もビジネスの才能に溢れた人物で英語圏からの旅行者を想定し店名を「Old Curiosity Shop(骨董屋)」とつけたり、富裕層の避暑地として有名なスイス・サンモリッツに店舗を構えたり。その戦略的ビジネスの才能は息子たちに受け継がれ、「ブルガリ」は躍進を続けたのです。

しかし「ブルガリ」は、ブランドの特徴ともいえるギリシャ建築様式をベースにしたデザインから、距離を置いていたことも。20世紀初頭はガーランド様式を中心にしたアール・デコやアール・ヌーヴォーが世界を圧巻。その影響を受け「ブルガリ」も、アール・デコにインスパイアされたジュエリーに転換していたのです。けれども、ある時期から時代の最先端と言われていたアール・デコやアール・ヌーヴォーなどのフランス様式から創業当時の伝統に立ち返りました。ソティリオが提唱したギリシャの建築様式や古代ローマ様式で、再びデザインに新たな命を吹き込んだのです。

もともと古典様式は東洋文化に影響を受けているため、カラーストーンが特徴的。「ブルガリ」はいつしか「色石といえばブルガリ」と言われるほどの地位を確立しました。さらに、重厚なデザインが特徴のルネサンス様式を取り入れるなど、他ブランドとは一線を画す独自のブルガリ様式を確立したのです。明らかにシンプルさを求める時代とは逆行していましたが、華やかで見栄えのする「ブルガリ」ジュエリーは、着実に不動の地位を築いていきました。

世界のファッショニスタを虜に

1950~60年代に入ると「ドルチェ・ヴィータ(甘い生活)」と呼ばれる時代に入り、ローマのブルガリ本店には著名なアーティスト、女優、作家などが訪れるようになりました。プラチナとダイヤモンドを使うパリのスタイルから一線を画しイエローゴールドを使うなど、カラーを重視したジェムストーンを取り入れ始めたのです。豊かな色彩や、豪華なボーリューム感のあるジュエリーは世界中のセレブリティを魅了。オードリー・ヘップバーンやエリザベス・テイラーといったファッショニスタも「ブルガリ」のファンに。もはや、その人気はイタリアだけにとどまらず、世界中の富裕層を虜にしていたのです。

時は流れ1970年代、インスピレーションは多様化。インド芸術やエジプトの古代技術を再解釈したり、日本からインスピレーションを受けて富士山を描いたブローチなども発表しました。そして、ついに満を持して世界へと展開を拡大。現在ではジュエリーだけでなく時計・香水・アパレル・ホテルなど事業を拡大し、総合ブランドとしてその名を世界に轟かせています。さらに2011年、LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)の傘下に入り、成長に拍車をかけています。

大女優エリザベス・テイラーと「ブルガリ」の深い関係

「ブルガリ」に深い縁があったイギリス人女優エリザベス・テイラー。テイラーはイギリス出身で子役時代から活躍し、8回の結婚をしました。恋多き彼女はファッションリーダーとしても絶大な人気を誇り、宝石を心から愛していました。そんな彼女が愛したジュエリーが「ブルガリ」。英語圏に暮らす彼女が知っている唯一のイタリア語が「ブルガリ」だったと言うほど。彼女の死後、残されたジュエリーコレクションは数百億円規模に達すると言われています。

エリザベス・テイラーと「ブルガリ」の出会いは、1962年の映画『クレオパトラ』の撮影。撮影場所がローマ郊外に位置するスタジオ「チネチッタ」だったため、彼女は「ブルガリ」ローマ本店に足繁く通ったそう。実はこの時、エリザベス・テイラーと俳優リチャード・バートンは互いに既婚者であるにも関わらず、クレオパトラの撮影で出会った瞬間恋に落ち、お忍びで「ブルガリ」のお店で会っていたとも言われています。リチャード・バートンがはじめてテイラーに贈ったプレゼントはエメラルドをあしらった指輪。1962年にブルガリが製作したもので、7.4カラットの指輪でした。後にテイラーは「エリザベス・テイラー・エイズ基金」のチャリティー・オークションでこの指輪を手放しましたが、新しいオーナーに「愛を込めて使って欲しい」と手紙を添えたそうです。

また1966年、アカデミー賞主演女優賞受賞時に身につけたのは、60.5カラット相当のエメラルドとブリリアントカットのダイヤモンドネックレス。これは1964年、リチャード・バートンとの結婚の際に贈られたものでした。ペンダントトップの部分は1962年の婚約時にブローチとして彼から贈られたもので、それを結婚式のときにネックレスにつけたのです。アカデミー賞授賞式に身につけたことで、「ブルガリ」のネックレスは大きな名声を得ることとなりました。

セレブリティとラグジュアリーブランドは切っても切れない関係。イタリア・ローマを代表するジュエラー「ブルガリ」の歴史を紐解くと数々の名女優が浮かび上がります。ジュエリーを選ぶ際、本質的な価値で判断するのはもちろん、時代や歴史などのストーリーに目を向けて楽しむのもいいかもしれません。